Message from Athlier K

マーラーの墓.jpg■その名を見上げて ・・・ウィーン郊外、グリンツィングにて

1997年9月、秋。学生だった私はヨーロッパを一人で放浪していた。行く先も目的も決めなかったが、どうしてもここだけは、という場所があった。10代初めの頃から行きたかった場所。ウィーン郊外、グリンツィング。長年、一人の先達に会いたかったのだ。

墓石にはGUSTAV MAHLERと彫ってあるのみであり、生没年を含め他に何も刻まれていない。「私の墓を訪ねる人なら、私が何者だったのか知っているはずだし、そうでない人に訪ねてもらう必要は無い」という作曲家グズタフ・マーラー(1860-1911)生前の遺志通り、墓石には「GUSTAV MAHLER」の文字のみ。しかし名前だけ彫ってあるこの墓のためにこうして遠く日本から放浪してきて、さらに後の創作の人生を決定付けられた学生もいる。

芸術家にとって、名前やその作品に勝る墓碑銘は無いのではないか。 

連載「明日の歌を」〜楽友邂逅点〜より「Epitaph(墓碑銘)」抜粋
(月刊「音楽の世界」2013年8/9月号 ISSN1342-5463)

                                         (2014.12.1)


魚籃坂下.JPG

■魚籃坂思巡録
 
私の住んでいる場所の近くに、魚籃坂という坂がある。坂の中腹に魚籃観音を祀った魚籃寺があることが坂の名前の由来だと云う。坂を上り切れば、伊皿子(いさらご)の地に着き、そのまま下ってゆくと、四十七士で有名な泉岳寺に辿り着く。また、江戸時代「月の岬」と呼ばれた、何とも美的な名前の地もこのあたりにあり、近隣を散歩・散策すると、諸事、色々な思いが巡る。
 
日々の雑感、作曲の際に思う事、そういった事を少しずつ書いて行きたいと思う。
                                          (2014.12.15)


fujizu_033.png■ブログと記録と

 
謹賀新年。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
このwebsiteも、有り難い事に閲覧して下さる方がおいでになり、心から感謝しています。ブログ形式にするか色々考えましたが、ログが流れて行かないように、このように黙々と更新する形の日記・報告形式を取る事に致しました。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

                                            (2015.1.1)


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■作品番号 〜人生のページ番号〜
 
時折、F.シューベルト(1797-1828)の作品番号(Op.番号)を思う。WikipediaによるとOp.173(1868年)まであるそうで、これは、出版された曲につけられた番号で、D番号(ドイチュ番号)では1000を超えるという。31年間の生涯で……。決して長くはなかった人生に、それでも生まれた歴史的作品の数々に、心から驚嘆するほかない。
 
ところで、作品は、一人では成らないものなのだと思う。確かに作曲家が譜面の上で終止線を引いた瞬間、作品はかたちとなり、生まれる。しかしそこに留まらず、作曲家が作曲し、演奏家が演奏し、聴き手が受け止めて下さって、初めて作曲者が音楽の形で伝えたかった美が、感情が伝わる。そこから作品の人生の一歩が始まると考える。
 
そうして幾つかの作品を世に送り出させて頂いて思い返す。私の10代後半から20代後半、演奏される事どころか音になる機会の無かった、永遠に続くと思われた長く重く哀しい期間。孤独が長かった分、今こうして音になり、音楽を通じて人と人が優しく結びついてゆく事の、この嬉しさ。作品が人前で演奏される時、その時手を合わせて感謝し御礼をする気持ちで、一曲一曲作品番号をつけてゆく。
 
私にとって作品番号は、音楽作品と、それに関わって下さった人を書き記した、人生のページ番号にも似ている。
                                          (2015.1.15)


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 ■五線譜の向こうに人がいる。
 
『この五線紙の向こうに人がいる。音楽は心から心に向かって伝える、音と感情の、時代を超えた尽きないメッセージである。』というのが私の創作哲学の中心核にあり、それはどんな作品を書く上でも忘れず心がけるようにしている。
 
五線紙に書かれた音符も大切であるが、その向こうにいる人や景色などを心の中で思い、影を反映するように五線紙に向かう。そうして作られた・演奏された音楽は、耳だけでなく心に響く感情や風景を大切に伝えてくれると信じる。
                                           (2015.2.1)


永遠.JPG

■永遠である事
 
音楽を評するとき、二項対立のように「新しいスタイル」「旧いスタイル」といった視点から語られる時がある。だが、その善し悪しは決められないし、決められるものでもない。実際、そのどちらにも魅力がある。
 
しかし、私にとっては「新しい」とか「旧い」という事以上に、「この音楽は永遠であるかどうか」ということに興味があり、それこそが大切な事であると考える。そういう高遠な景色を思い浮かべるようになってから、心の中に、歴史の大河に恥じない創作をしたいという想いが生まれるようになった。歴史的名曲から、大いなる感動を覚えると同時に、人生そのものを励まされる気持ちになる。志(こころざし)は、せめて一歩でも近づく努力をしたいと常に希求している。
                                                                                           (2015.2.15)


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■恩師 助川敏弥先生 ご逝去
  

恩師 助川敏弥先生が、9月26日、ご逝去されました。85歳でした。
いま万感の想いが、胸に去来しています。

助川先生には、約13年ご指導を受けました。平均して二週間に一度お会いし、それは作曲の実作の指導に留まらず、世について、人について、芸術について多くのお話を伺いました。何物にも代え難い、心暖まる、貴重な時間でした。時に峻厳な人生の先人であり、何より作曲家として高く聳(そび)える芸術家でありましたが、私にとりましては、あたたかなまなざしを持ったどこまでも優しい先生でした。

今年の8月末に末期の癌が見つかりすぐにご入院されてからも、先生は自身の最後の作品集の完成が気がかりでいらっしゃいました。最後はほぼ毎日お顔を合わせ、先生の完成のお手伝いをさせて頂きながら、人生の最終期の御見送りをさせて頂きました。最後にお会いした日までその偉容を失わず、芸術家としての生き方を完遂されました。

立ち止まると淋しさに追いつかれそうです。淋しさが追いつかないうちに、皆様へのお知らせと、御礼を伝えさせて下さい。

助川敏弥先生、本当に有難うございました。いま、そしてこれからも、永久に、心からの敬意と感謝の念を捧げます。

                                                                      2015年9月28日
                                        助川敏弥門下                                          作曲 橘川 琢
                       

                        ※写真は2015年7月、85歳の記念に(撮影:橘川 琢)

 
                                                         (2015.9.28)



■お見舞い
 この度の熊本・九州地方の大地震に被災されました皆様へ、衷心よりお見舞い申し上げます。皆様の安全を心より祈念しておりますとともに、一刻も早い復旧をお祈り致しております。
                       
                                                  (2016.6.18)


秋思響想 〜 2017年晩秋 作曲への思い 〜

秋深まる深夜、冬を前に、少しだけ自分を振り返る。
今の自分の心の、備忘録として。

基本的に、自分は自分の作品に対して、「良く」振り返ってみる習慣は、全くない。
振り返られるような人生ではない。

10代の終わり頃から作曲を始めても誰にも歯牙にもかけられず初めて音にして
いただけるまで丸10年以上かかり、29歳に初めて音にしていただいたその作品や
その後の作品群も各方面から厳しい評価を浴びせられ続け、その後30代は
時折支持してくださる方もいたが、多くの場合静かな批判や無反応の状態を受け続けて終わった。
少なくとも耳に届いたのはそういう声がほとんどであった。

伝えたかった気持ちやメッセージも、耳止まりで、心にまで届いている実感がなかなか
なかったし、ただ忸怩たる思いを自分に飲み込ませ続けた。

そうして20年、ただ、作曲の人生だけを見て臥薪嘗胆の思いで耐えるだけ耐えていた。
いつかこの音楽が、心から心へ至る想いのメッセージになると思いながら。

演奏家の側や聴き手の皆様からの再演や録音の機会が色々といただけるようになったのは、
ここ数年。主に40代に入ってから。色々なリスクを自分が背負ってでも音楽に乗せた想いを
もう一度聴いてみたい、もう一度再現してみたいと思ってくださる方がいることへの、
心からの有り難さ

そんな作曲人生だから、正直、作品を評価していただけることやその温もりは自分の中では
未だになかなか信じ難く、それまでの20年を思えば明らかに望外の心境であり素直に嬉しいし、
有難いことだと感謝の気持ちが満ち溢れてくるけれども、作曲の際に評価されること自体は
目標にはならない。本当に重要なのは、作曲をしたいと思うときの純粋な最初の熱い動機
そのものだと考える。

ただ、今、変わらず暗中模索の身ではあるが、少しだけ自分の思うような音で、ようやく
自分の内面の心が音で紡げるようになってきている感じはする。それが実は一番自分の中で
ありがたい。自分の中での音の自己像が、ようやくピントがあってきた感じがする。

自分の代表作は?と聞かれた時に、C.チャップリンは"Next one(次の作品)"と答えたというが
同じ思いで、今作にかける全身全霊の創作は当然のこと、次の作品は、その今の自分を
超える何かでありたい、自分の求める美に一歩でも肉迫できるものでありたい、そういう
自己超克の思いだけが、作曲の筆を勇気付けてくれる。

私にとって作曲とは五線譜に魂を移すことだ。その作品は自分の中から離れ、世の中に独立し、
その曲を愛してくださる誰かの想いとともに永遠に生きてゆく。仕上がった作品は演奏して
くださる人や聴き手に信頼して預け、本人は書いたら休む間なく次の作品に食らいつく。
いつも、せめて自分だけでも、自分の次作に期待して作曲をしたいと思い続けている。
いつの日か、この肉体の中にある魂の尽きる時、作曲と人生の終わる日まで。

                         (2017.11.20 晩秋、42歳の終わりに)